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導入事例

UNITED TOKYO 京都柳馬場
PUBLIC TOKYO京都柳馬場港

PRODUCT

製品

既製品からオーダーメイドまで、お客様のニーズに合わせて幅広い建具製品をラインアップしています。

WORKS

施工実績・導入事例

私達の制作実績をご紹介しています。施工イメージのご参考に、ぜひご覧ください。

2025.11.25

【施工事例】「UNITED TOKYO 京都柳馬場・PUBLIC TOKYO京都柳馬場港」 — 試着室にオーダー障子を設置|空間デザインと建具設計を両立

10月10日に京都・柳馬場通にオープンしたUNITED TOKYO 京都柳馬場・PUBLIC TOKYO京都柳馬場港同店舗の試着室と仕切り部分に、当社 障子.com の オーダー障子 が採用されました。 現代的な店舗デザインの中に、和の障子を美しくなじませるため、工務店・建築士の方々と連携しながら設計段階から改善提案を行いました。本記事では、その施工事例と当社が提供した技術的サポートをご紹介します。 ■ 店舗デザインに和の要素を取り入れたい工務店様からのご相談 今回の障子導入は、店舗の設計・施工を担当された工務店様より「試着室の目隠しと空間の仕切りとして障子を使いたい」というご相談から始まりました。 建築士の方より初期設計図をいただき、 空間デザインに合う障子の仕様、建具としての納まり、耐久性を総合的にチェック。 障子は「ただ取り付ければいい」わけではなく、 建付け・寸法・桟の配置・溝幅など、細部の設計が仕上がりを大きく左右します。 ■ 設計段階で発見した“骨が重ならない問題” 当社がまず気づいたのは、引き違い障子を開けたとき、2枚の桟(骨)が重ならない設計になっていた点でした。 桟が揃わないと…・ 光が透けたときに骨が二重に見える・ 美しさが損なわれる・ 店舗照明との相性が悪くなる・ 店舗デザインの世界観から外れるという問題が起こります。 特にアパレル店舗は照明の質が高く、光の影がはっきり出やすいため、 桟のズレが強調されてしまうことがあります。 これは一般の建築設計では気づきにくい、 建具の専門性が必要なポイントです。 ■ 改善提案:開けても閉めても美しい障子へ 当社の建築士が建築設備の視点から図面を見直し、開いたときに骨がぴったり合う設計へと改善案を提示しました。 これにより、・ 障子の影が美しく揃う・ 試着室周りのラインが整う・ 現代的なインテリアとの調和が生まれるなど、空間全体の完成度が高まりました。 当社が得意とする「クリエイティビティ × 実現可能性」が最も発揮された部分です。 ■ 鴨居の溝幅も最適化。現場を見ずとも違和感を把握 さらに図面から、鴨居の溝幅が障子を正しく納める寸法になっていない可能性があると判断し、工務店様に現場で正確な寸法確認を依頼。 溝幅が数mm違うだけで、・ 障子が動かない・ ガタつく・ 長期使用で破損しやすくなるといった問題につながるため、非常に重要な工程です。 建具専門店としての経験から、正しく納まるかどうかを図面だけで判断できる点は、当社の大きな強みです。 ■ 和空間 × 店舗デザインに障子が選ばれる理由 最近、アパレル・飲食店・ホテルなどで「和の抜け感」「柔らかい光の演出」を目的に障子の需要が増加しています。 障子には・ 光を柔らかく拡散する・ 目隠ししつつ圧迫感を出さない・ 洗練された“日本的美意識”を表現できるというメリットがあります。 しかし同時に、和室とは異なる商業空間に設置する場合、設計ミスが起きやすい建具でもあります。 今回のように、「設計目線」と「建具職人目線」の両方から調整できることが、空間のクオリティ向上に直結します。 ■ まとめ:空間を引き上げる“細部の仕事”が建具の価値 今回の京都店プロジェクトは、建築 × 建具のコラボレーションが成功した好例となりました。 ・ 空間設計を理解・ 建具の専門知識で改善・ 美と機能性を両立・ mm単位の精度で納まりを最適化 こうした細部の積み重ねこそ、和の空間づくりで一番大切な要素です。 ■ 障子のオーダー・店舗での設置をご検討の方へ 障子.comでは、店舗・ホテル・商業施設などのオーダー障子の制作・設計サポートを行っています。・ 店舗デザインに和の要素を取り入れたい・ 空間に合う特注の障子をつくりたい・ 設計段階から建具の専門家にチェックしてほしいという工務店・設計士・事業者様はお気軽にご相談ください。 空間設計 × 建具設計の両面から、理想の和空間を実現いたします。

#和モダン #和建具

2025.06.12

「つい長居してしまう、自分の居場所」モダンな和室の魅力

こんにちは。障子.comブログ担当の野口です。 「和室」って不思議と心が安らぎますよね。ついつい時を忘れて長居してしまったり。 いつもは洋室派だけど、和室の旅館などに泊まったらとてもリフレッシュした、なんていう経験ありませんか? 近頃では「和室はあえて設けない」という選択肢も増えてきていて、それはとても弊社としてもさみしい限り。和室は日本人のDNAに刻まれていると言っても過言ではないとても素晴らしい建具。 それに、色んな用途に使える実用性もポイント。 友達や家族など、来客の時のお泊りスペースや、お子さんのお遊びスペースとしても。柔らかい障子や畳は転んだときも安心です。   山形県天童市「シエルホームデザイン」様が設計した和室をご紹介します。 障子の格子の桟を極限まで減らしたデザインの弊社の障子を採用いただきました。スッキリとしたモダンな和室の雰囲気に障子が一役買っています。     洋室へと続く間仕切りには、特注の障子ドアを採用しました。 通常のドアに比べて圧迫感が感じにくいですし、なによりモダンな和室と相性がgoodです!モダンな琉球畳とあいまって、とてもオシャレな和室に仕上がっています。 そして忘れてはいけない障子ならではの良さ、適度な採光、適度な保温断熱効果、調湿効果も嬉しいですよね。   ご自宅にモダンな和室を作りたい!という方はぜひこちらの「シエルホームデザイン」さんの和室をご参考にしてみて下さい。 つい長居してしまう、自分の居場所。 そんな特別な魅力が和室空間には溢れています。

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障子の豆知識やご家庭で役立つ裏技を建具のプロが発信中!必見です。

2025.12.18

【こだわりの和室】アンティーク障子には職人の技術が詰まっていた!

和室の表情を大きく左右する「障子」。 その中でもアンティーク障子は、木の細工や組み方に職人技が凝縮されています。 今回の障子も、シンプルながら高度な技術が求められる仕様が特徴です。 ■ 前框(まえがまち)の“尖り加工”が生むシャープな印象 一般の障子では、縦骨・横骨は6〜7mm幅の均一な材で組まれます。 しかし、このアンティーク障子では、 前側(手前側)を尖らせて細く見せる加工を施している点がポイント。 このデザインによって、障子全体の見た目がぐっとシャープな印象になります。 ■ 精密さが求められる“組み合わせ”の技術 細く見せるため尖らせると、 ・ 木材の接合部に隙間を出さない ・ ぴたりと合うように組み上げる という高度な調整が必要になります。 そのため、一般の障子よりも手間も技術も数段上の加工。 見た目の美しさの裏に、丁寧な手仕事が隠れています。 ■ 今では希少な職人技|かつては腕自慢の仕事だった 現在では、 「手間のかかる仕事はほとんど行われなくなった」 と言われるほど、希少になった技法。 昔は、 ・ 職人同士が腕を競い合い ・ 美しい細工が当たり前に作られていた という時代背景があり、アンティーク障子にはその名残が色濃く残っています。 ■ アンティーク障子は“職人の歴史”を感じられる建具 シャープな前框、隙のない組み、均整のとれた骨組み。 これらがそろって初めて成立するアンティーク障子は、単なる建具以上の存在。現代では希少な技法が詰まった、 職人の歴史と技が宿る和室の主役と言える建具です。 ■最後に 職人の技が詰まった障子.comの障子に興味を持っていただけた方は、ぜひサイトでご自分にぴったりの障子を探してみてくださいね!

#職人 #障子

2025.12.18

【かっこいい木材の和室】素晴らしい古材の舟板を使った床の間がいい!

和室の美しさは、素材が持つ歴史と存在感によって大きく変わります。 今回紹介する和室は、**古材の舟板(ふないた)**を用いた床の間が主役。 重厚感のある質感が空間の雰囲気を一段と引き立てています。 ■ 舟板とは?|船の側面に使われた古材 舟板は、かつて船の側板として使用されていた木材。 釘を打ち付けて組まれていたため、表面にはその痕跡が残ります。 動画で紹介されている舟板は、 ・ 釘跡を隠す処理が施され ・ バーナーで焼き ・ 表面を磨き上げた という手間をかけた一枚。 年月を重ねた木材ならではの深い表情が魅力です。 ■ 空間を支える“猿すべり柱”の存在感 床の間を彩る柱には、**猿すべり(さるすべり)**と呼ばれる独特な木材が使用されています。 木肌が曲がりながら伸びるため、一本として同じ形がなく、 和室に自然ならではのリズムと動きを与えます。 ■ 壁材「杉材のうす塗り」がつくる素朴な仕上げ 壁には杉材を薄く塗る技法を採用。 必要以上に隠さず、あえて木肌の風合いを見せることで、素朴で落ち着いた佇まいに。 茶室では、装飾を抑えた自然な仕上げが重視されるため、 素朴な素材感が活かされた構成になっています。 ■ 素材の魅力を最大限に生かした和室デザイン 舟板の古材感、猿すべり柱の動き、杉材の素朴さ。 それぞれの素材が持つ個性を組み合わせることで、 日本らしい静けさと力強さを併せ持つ和室が完成します。 古材ならではの深みのある表情は、 現代の住宅や店舗の和空間づくりにも取り入れたい魅力の一つです。 ■最後に 職人の技が詰まった障子.comの障子に興味を持っていただけた方は、ぜひサイトでご自分にぴったりの障子を探してみてくださいね!

#名建築 #和モダン

2025.12.12

【DIYカンナ】やばい「ホビーかんな」を建具職人が構造から調整・削り方まで全て紹介します!

ホビーカンナの構造や使い方を建具職人が解説します。

2025.12.04

【完全版】障子の貼り方・剥がし方を職人が詳しく教えてくれます!

障子建具職人が初心者に障子の貼り方・剥がし方を教えています

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COLUMN

障子職人コラム

私達が作る建具のこだわりや魅力を、職人の目線でわかりやすくお届けします。

2025.11.28

山形で110年続く伝統建具店 | Masters of Japan

障子をはじめとする日本の建具には、長い歴史と職人の繊細な技術が込められています。 日常で何気なく使っている建具ですが、実は日本の環境に寄り添い、長く使えるための工夫が詰まっています。 ■ ほぞ組という日本伝統技術|釘を使わない精密な組み上げ 伝統的な障子には、「ほぞ組み」と呼ばれる技法が使われています。 木を丁寧に組み合わせ、釘を一切使わずに仕上げることで、湿度の変化が大きい日本の四季に適応し、長年使える建具が完成します。 見えない内部構造こそ、職人の技術が光る部分。 強度と美しさを兼ね備えた、日本らしいものづくりの精神が息づいています。 ■ 100年使える建具の理由|木材の力を引き出すものづくり 釘を使わずに組むことで、木本来の調湿機能を妨げないため、 割れにくく、壊れにくく、何十年も使用可能。 適切なメンテナンスを行えば、工具や建具は何十年も使えます。 古い道具を手入れしながら、世代を超えて受け継ぐ文化が、建具職人の現場には息づいています。 ■ 日本の道具と技術を守り継ぐ姿勢 日頃のメンテナンスを大切にし、工具の調整を定期的に行うことで、 正確で美しい仕上げが可能になります。 職人は工具の状態を見極め、用途に合わせて使い分け、次の世代へ技術を継承しています。 ■ 日々使い続ける鉋(かんな)の調整作業 「台ならし」鉋の木に当たる台の部分を調整する作業のこと。 ただ真っ平らにすればいいものではなく、刃の上側と下側で髪の毛1本分程度の高低差を作ったり、 左右差についての均等に調整することで鉋のかかり具合をコントロールします。 ■ 山形・齋藤勇治建具店|110年の歴史を持つ建具店 山形にある齋藤勇治建具店(現在は「障子.com」)は、創業110年以上続く建具店。 国産・秋田杉を贅沢に使用し、自然の調湿機能を活かした障子づくりを続けています。 全国の工務店や、こだわりの障子を求める個人へ向けて、 高品質な手づくり建具を提供。 職人の高齢化で建具店が減る中、 伝統技法と日本文化を次の時代へつなぐための取り組みも行われています。 ■ 伝統を未来へ|暮らしを豊かにするものづくり 建具は単なる建材ではなく、暮らしに寄り添い、心を整え、 世代を超えてつながる日本文化のひとつ。 技術と精神を守り、未来へ残すことが、伝統職人の使命です。 ■ オーダーメイド・相談受付中 ・ 工務店様・個人注文どちらも歓迎 ・ デザイン相談無料 ・ 全国発送対応 ぜひお気軽にお問い合わせください。

#和建具 #職人 #障子

2025.03.04

齋藤勇治建具店の歴史 〜第4章〜

山形県酒田市両羽町で営業する「齋藤勇治建具店」社屋。   当社の約110年に渡る歴史にふれる「齋藤勇治建具店の歴史 」シリーズ。大嘗祭(だいじょうさい)のための建具製作から完成までを綴る第4章となります。  ◆前記事【齋藤勇治建具店の歴史 〜第1章〜】  ◆前記事【齋藤勇治建具店の歴史 〜第2章〜】  ◆前記事【齋藤勇治建具店の歴史 〜第3章〜】 1989年(昭和64年)1月に昭和天皇が崩御され、元号が昭和から平成に代わりました。電力供給の普及や、木工機械の導入により仕事ぶりは大きく変わっていく中、熟練の手仕事を携えた建具職人たちの元に 翌年11月に行われる大嘗祭(だいじょうさい、天皇即位後に初めて行う新嘗祭。皇位継承に伴い一代に一度だけある重要な儀式)のために建設される社殿に使われる建具の製作依頼が舞い込みました。   主基殿(すきでん)の建具(折戸扉)製作風景。全て職人による手作業で進められる。   困難を極める主基殿の建具製作、職人たちの意地と執念 宮内庁立会いの元行われた受注前検査が終わり、ついにその製作が始まりました。製作するのは主基殿正面に取り付けられる折戸扉や黒木灯籠などで、その全てが職人による手作業で行われました。一般住宅建具に精通した職人達ではありましたが、社殿に用いられる建具全ては伝統的な工法を必要とするため、その製作は困難を極めました。 例えば丸太同士の接合部は1本1本彫刻刀を使って削り出すなど、その特殊な工法には膨大な時間と緻密な技術が必要でした。そのため納得の出来に至るまでには、何度となく失敗や作り直しを繰り返し、職人達の意地と執念の集大成とも言える過酷な作業が連日連夜続けられたのです。   高度な技術と特殊な工法が求められた主基殿(すきでん)の建具製作は連日連夜続けられた。 苦難の末、建具が完成、皇居での組み立て作業へ そして苦難の末、自社工場で続けられていた建具制作をどうにか予定通りの期日まで完了させ、1990年(平成2年)10月、その建具を現地(皇居)に運び込んでの組み立て作業を行うため、山形県〜東京都間を運搬。なお、社会情勢的に反社会勢力などから妨害を受ける危険性も十分考えられたため、その運搬は極秘で行われました。 そして、10月20日〜22日の3日間に渡り現地での組み立て作業、取り付け作業を行い無事完了。ついに主基殿の建具造営の大仕事をやり果たすこととなりました。   宮内庁の方々も見守る中現地での組み立て作業が行われた。   完成した主基殿正面の折戸扉。   背面から見た主基殿。当社施工の黒木灯籠や雨儀御廊下が見える。   当社で保管している造営記念品として宮内庁より贈られた菊紋入りの盃。 苦難の末、建具が完成、皇居での組み立て作業へ 無事大仕事をやり果たした職人達の手元には、記念品である菊紋が施された特注の盃が贈呈されました。 それから35年の月日が流れ、当時代表を務めた2代目齋藤勇治から、3代目齋藤優晴、そして現代表の齋藤晴紀へと受け継がれ、創業から110年が経とうとしております。     北前文化を誇り、料亭が立ち並ぶ最盛期の山形県酒田市、その町の小さな建具屋から始まった当社の歴史。その歴史は、無数の建具を丹精を込めてこの世に生み出し続けてきた職人たちの歴史とも言えます。 110年の歳月の中で人々に求められる建具の価値は大きく変わったかもしれません。 ただ、職人たちの手によって作られた、世界に一つだけの建具の価値。 それをお客様一人一人にお届けするという当社の使命は、当時も今も全く変わっていないということをこの「齋藤勇治建具店の歴史」シリーズから感じていただけたら幸いです。 〜完〜

2025.03.04

齋藤勇治建具店の歴史 〜第3章〜

山形県酒田市両羽町で営業する「齋藤勇治建具店」社屋。 当社の約110年に渡る歴史にふれる「齋藤勇治建具店の歴史 」シリーズ。平成以降を綴る第3章となります。 ◆前記事【齋藤勇治建具店の歴史 〜第1章〜】 ◆前記事【齋藤勇治建具店の歴史 〜第2章〜】 1915年(大正4年)に山形県酒田市で創業し、料亭文化が色濃く残る「上台町」で町の建具屋として55年にわたり自宅兼工場として営業したのち、1969年(昭和44年)、当時「酒田木工団地」として木材利用工場の誘致を行っていた現在の所在地にあたる「酒田市両羽町」に移転。 電力供給の普及や、木工機械の導入により仕事ぶりは大きく変わっていく中、熟練の手仕事を携えた建具職人たちの元に大きな依頼が舞い込みました。   天皇陛下の代替わりに伴う皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」の行事の中核の一つ「大嘗宮」。 天皇陛下が即位する「大嘗祭(だいじょうさい)」の建具を造営 1989年(昭和64年)1月に昭和天皇が崩御され、元号が昭和から平成に代わりました。 そして宮内庁より、翌年11月に行われる大嘗祭(だいじょうさい、天皇即位後に初めて行う新嘗祭。皇位継承に伴い一代に一度だけある重要な儀式)のために建設される社殿に使われる建具の製作依頼が舞い込みました。(※厳密には、当社単独の請け負いではなく複数社による合同での請け負い)   一世一代の大仕事が始まる…宮内庁による入念な受注前検査 大嘗宮の中心をなす主基殿(すきでん)の建具製作。当然ながら大きな重責を担う職務でありましたが、2代目齋藤勇治が請け負いを決意。大嘗祭の会場となる皇居内の建設予定地への納入を予定しながらも、製作や組み立ては当社第1・第2工場内で行うため、受注前に宮内庁立会いでの図面や工法の検査が行われました。 通常の建具とは異なる古来からの工法、緻密な製法が求められるだけでなく、天皇即位の儀式に関わるという重責を担う世紀の大仕事。職人達はそれに真っ向から立ち向かい、ついにその製作が幕を開けたのでした。  〜第4章に続く〜

2025.03.04

齋藤勇治建具店の歴史 〜第2章〜

山形県酒田市両羽町で営業する「齋藤勇治建具店」社屋。 今回は「齋藤勇治建具店の歴史 」シリーズ第2章として、当社の約110年に渡る歴史にふれていきます。 ◆前記事【齋藤勇治建具店の歴史 〜第1章〜】 1915年(大正4年)に山形県酒田市で創業し、料亭文化が色濃く残る「上台町」で町の建具屋として55年にわたり自宅兼工場として営業しました。 そして、1969年(昭和44年)、当時「酒田木工団地」として木材利用工場の誘致を行っていた現在の所在地にあたる「酒田市両羽町」に移転することとなりました。   上台町で営業していた当時の作業風景。 酒田木工団地への移転、木工機械を駆使した技術へ 長きに渡り建具屋を営んだ場所から酒田木工団地に移転、電力の確保が可能になったことで、職人たちの手作業や、人力による運搬などが主だった建具屋の仕事は木工機械の導入によりどんどんと変化していきました。 のこぎりで手切りしていた材木のカットは電動のこぎりへと、木材を削るカンナも電動へ、材木同士を組み合わせるほぞの加工も木工機械の使用により生産性が大幅に向上しました。   平成初頭の工場で作業風景。職人たちが後述の昭和天皇に奉納する建具を製作する様子。 欠くことのできない手仕事の価値、そして転機へ 木工機械の導入により一変した建具屋の仕事ですが、それはあくまで「大まかな作業を機械に任せ、生産速度を上げる」ために過ぎず、建具の出来を大きく左右する正確無比な仕上げや組み立てなど、職人たちの手仕事の価値が失われることはありませんでした。 木工団地への移転の翌年、2代目齋藤勇治が「齋藤勇治建具店」として法人化 そして生産性は向上の一途を辿り、建具の生産量も年々増加していく中、時代はバブル景気渦巻く平成へと移っていきました。そんな時、熟練の技術を携えた建具職人たちの元に当社最大の転機となるオファーが舞い込んだのでした。 〜第3章に続く〜

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障子で彩る暮らし、
日本の美を未来へ

障子は、日本の伝統美と機能性を兼ね備えた建具です。

やわらかな光を透かし、室内に穏やかな陰影を生み出すその佇まいは、心に安らぎを与え、四季の移ろいを感じさせる風合いと、通気性の良さが快適な空間を演出。和室はもちろん、現代のインテリアにも調和し、暮らしに温もりを添えます。

私たちは、職人の技を受け継ぎながら、未来へとつながる障子の魅力を発信し続けます。

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